CYDONIA
第一話「ミコッテ族の集落」
子どもの頃の記憶はひどく断片的だ。
それは木々の合間から見えた月明かりだったり、焚き火の赤々とした光だったり、大天幕の中で輪になって座り、手仕事をしている女たちの影だったりする。
女たちの仕事は近くで見ているのがとても面白く、穀物を棒で叩いて粉にしていく作業や、なめした皮を太い針で縫いあわせて、器用に革鎧をこしらえていく光景を今でも明瞭に覚えている。
見よう見まねで試してみたけれど、どうしても上手くできなくて、おばあが笑いながら頭を撫でてくれた。
あのときいろいろなことを教えてもらったおかげで、いまでも革鎧を繕うことくらいはできるし、簡単な料理もできる。
「無駄なことなんてひとつもないんだよ」と、おばあがよく言っていたっけ。
森の中のミコッテ族の集落にはたくさんの女たちと少女たち、それから自分を含めて4人の男子たちが住んでいて、一族を束ねる長は一番奥まったところにある大きな天幕で暮らしていた。
長とは直接会ったことがない。
顔は一度だけ見たことがあるけれども、白髪を短く刈り込んで、無精髭を生やした隻眼の男だった。
自分の父親と言われてもピンとこなかった。それくらい関わりがなかった。
長はいつも天幕に篭っていて、ときおり男子だけを集めて教育をすることがあったらしい。
らしい、というのは、俺は小さすぎて長の天幕に一度も呼ばれたことがないからだ。
自慢になるのかさえわからないが、男子の中で一番年長だったダイラーが得意気な顔でよく話していたから、きっと本人にとっては名誉なことだったんだろう。
「ジヌは小さいままだから、ずっと長の天幕には入れてもらえないよな!」
馬鹿にしたような顔でダイラーがそう言って、取り巻きのレンとアーリが面白そうに笑う。
何度も言われたことだから、もう悔しいとも思わなくなってしまった。
「ジヌ」っていう、俺の本当の名前じゃない呼び名も。
俺のことを「ジヌ」って呼び始めたのはダイラーだけど、最初は意味がわからなかった。
大天幕に行っておばあに聞いたら、「小さいもの」っていう意味らしい。
「狩りをして、それがジヌだったら逃がすんだ。大きくなるまで待って狩ったほうがいいからね」
「ジヌは大きくなる?」
「大きくなるものだからジヌなんだよ」
それから、年長の3人にくらべたら生まれがずっと遅いんだから、小さいのは当たり前だろうがと言っておばあは面白そうに笑った。周囲の女たちもケラケラと笑った。
ミコッテ族は獣のような耳と尻尾の生えている種族だ。森や砂漠で、血のつながった一族が小規模な群れになって暮らしている。
ミコッテ族は女が多く、男子が生まれることが滅多にない。
でもヌンとなって集落の中心になるのは男だけだから、将来の長となる男子を産んだ女は集落の中での地位が高くなる。
だから、ダイラーとレンとアーリの母親たちは大天幕にくることがなかった。
集落の中で出会うと険しい目つきをして睨んでくるから、なんだか苦手だった。
女の子しか生まなかった母親たち、若い娘たちは昼間は森に狩りにでかけ、夜になると年老いた女たちのいる大天幕に集って、楽しげにおしゃべりをしながら手仕事をするのが毎日の習わしだった。
その大天幕の中心にいるのは、色とりどりの布を身に纏った最長老のおばあ。
俺から見ると、いつも一族の中心にいるのは表に出てくることもない長ではなく、このおばあだった。
母は砂漠出身で、流れ者として集落に加わったせいで、いつも孤立していた。
他の女たちとは違い、ただひとり浅黒い肌をしていて、たったひとり男児だけを産み、それでいて男子の母親たちに迎合するわけでもなかった。
口数が少なく、いつもひとりでいたため、当初は集落の誰からも冷たく当たられていたらしい。
母はなにも語らなかったし、母の境遇は知らなかったから、俺はしょっちゅうおばあのいる大天幕に遊びに行っていた。
ダイラーと取り巻きたちは毎日遊び暮らしているくせに、どうしてか女たちのことを馬鹿にしていたけれども、狩りをしたり、料理をしたり、獲物の皮から革鎧を器用につくり上げるのは女たちだったし、それは素直にすごいと思っていたから、彼女たちからいろいろ習ったり、教えてもらうのは楽しかった。
特におばあの話は面白く、俺はおばあからミコッテ族に関することをほとんど学んだと言ってもいい。
自分と母だけの小さな天幕に戻ってその日の出来事を話したり、女たちからもらったものを見せたりするようになるうち、孤立していた母もいつのまにか大天幕にやってくるようになった。
俺がおばあに懐いて、おばあが俺を可愛がってくれたおかげで、母も集落のみんなに馴染もうという気になったのだろう。
「ノイエ、この子は笑うと可愛いのに言葉が少ないね。あんたが無口なせいじゃないかい」
おばあにそう言われても、母はニコリともしない。たしかに母も俺も無口だ。
でも俺が無口なのはしゃべろうとすると言葉がなかなか出てこなかったせいで、母が無口なのは生い立ちによるものだ。
「狩りに言葉が必要だとは思わない」
「そりゃそうさ。しゃべらないのは悪いことじゃない。だけども、黙っていることで頭が悪いと思われるし、相手を肯定することになりかねない。必要なことは言葉にしなくてはね」
おばあはそういって、俺の頭をゆっくりと撫でた。
おばあに耳のうしろをこすられるのはなんだか気持ちがいい。
「でも、ダイラーみたいにしゃべってばかりよりはいいよ!」
「そうそう、あいつはちょっとしゃべりすぎだよ! 威厳もなにもあったもんじゃない」
他の女たちがあいのてをいれて、天幕がどっと沸き立つ。
何が面白いのか全然わからなかったけれども、陽気な女たちはいつもこんな調子だった。